2022年8月24日 3年ぶりの閘門開閉実演が開催された!
コロナ感染症拡大の中、久しぶりの見沼通船堀の閘門開閉実演なので申込制だった。
そこで10時の部に申し込んだが、「受付はない」とのメールが届いた。
人数が少なかったのだろうか?
多ければ抽選とかになったのか???

8月24日9時50分前に到着
暑い!!!

パンフ、うちわ、水を無料配布
欲しい人だけ並んでもらう方式。

さいたま水道局提供の水
冷たくしてはくれていなかった・・・

「見沼通船掘 閘門開閉実演 うちわ」も配布。

「見沼通船掘 閘門開閉実演 うちわ」の裏側。

「見沼通船掘 閘門開閉実演」パンフレット。

「見沼通船掘 閘門開閉実演」パンフレットの裏。

「見沼通船掘」パンフレット。

「見沼通船掘」パンフレットの裏側。

「見沼代用水路と見沼通船掘」 パンフレット。

「見沼代用水路と見沼通船掘」 パンフレット2枚目。

「見沼代用水路と見沼通船掘」 パンフレット3枚目。

「見沼代用水路と見沼通船掘」 パンフレット4枚目。

見沼通船掘 閘門開閉実演 準備中

見沼通船掘 閘門開閉実演 開始!

角落板(かくおとしいた)を投げ入れる寸前。

1枚目は失敗。
2枚目を何とか設置。

投げ入れられた角落板を捕まえているところ。

3枚目?4枚目を設置。
このころは慣れてきて上手になってきた。
っていうか練習は?
3年ぶりで腕が落ちている???

角落板の設置動画
難しいのか???
「見沼通船舟歌」保存会?の方々の踊り。

「見沼通船舟歌」の踊り?歌?動画
歌はこのご時世で録音になりました。
「見沼通船舟歌」踊りと角落板の設置動画
途中から踊りと同時に角落板設置の同時進行になりました
8枚目まで積み上げられた角落板

遠目に見た、積み上げられた角落板

船頭さん登場!

船の操作に慣れるまでちょっと待ってね動画
慣れるまでちょっと待ってね、的な放送が・・・
練習は?していないの???
櫓をこいで一の関の方へ移動

船の真ん中には米俵が乗っている

船を反転させる準備に入った!

船の回転がうまくいった動画
なんかドタバタだな。
練習とかしないの?
後ろの部分が、木の壁にぶつかった・・・
暑さに耐えられず帰る人々・・・

見沼通船掘(西縁)の工事
昨年から工事はかなり進んでいた。

コンクリートの塀になるのか・・・

かなり頑丈そうだ。

以上、2022年8月の見沼通船掘。
追記(2021年11月)
見沼通船堀(西縁)の整備工事が行われていました。
なかなか見られない、水のない通船堀の様子です。







見沼通船堀は、享保16年(1731年)に開通した、見沼代用水路東縁及び西縁と芝川を結ぶ総延長約1,040メートルの閘門式の運河。


「閘門」とは二つの水門の間に水を貯め、水位差を埋めて舟を通す仕組みのことで、ここ見沼通船堀では、パナマ運河より実に180年も先に「閘門式」の運河が実用化されていた。

用水路と芝川の水位差が3メートルもあったため、途中それぞれ2箇所の関を設け、水位を調整して船を通した。
通船堀の開通により、見沼で取れた米などの農産物が江戸に運ばれ、江戸からは肥料や荒物が運ばれた。
江戸に至る舟運において要の施設であった「閘門」が復元され、毎年8月下旬には、閘門開閉実演が行われている。
閘門開閉実演では、見沼通船堀東縁一の関において、閘門を閉めて一の関と二の関の間で水位が上がる様子や、閘門を開けて水位が下がる様子を見ることができる。
閘門開閉実演は、平成27年度は雨天のため中止、平成28年度からは見沼通船堀東縁再整備工事のため中止にしていたが、実演会場付近の主要な工事が終わり、令和元年8月21日に5年ぶりに開催された。





見沼通船堀の工事は、いつからいつまで?!

第一次整備工事(平成6~9年度)から約20年が経過し、再整備を平成27年度から開始。

平成27年度は東縁休憩施設の改修をし、平成28年度から平成29年度にかけて東縁の関、堤塘、川底の再整備工事を実施。
平成30年度からは東縁園路の再整備工事、令和2年度からは西縁の再整備工事へと移行。

見沼通船堀公園の竹林と桜と猫さん



見沼通船堀公園の猫さんたち

先日、見沼通船堀公園を通った時、この白黒ねこさんに「すずちゃん元気?」と話しかけていたおばちゃんがいたので、この子は「すずちゃん」らしく、それ以来見かけるたびに、「すずちゃんおはよう!」「すずちゃんこんにちは!」と声をかけています(^^♪




見沼通船堀の猫さんと花!

見沼通船堀にはかわいい猫と4月にはきれいな桜からの薔薇が見られます。
猫は、耳がさくらの葉のように切られている保護ねこがほとんどです。

家で猫を飼っている私としては、かわいい野良さんのTNR(Trap/捕獲し,Neuter/不妊去勢手術を行い,Return/元の場所に戻す)を推進している保護ねこ団体の方に感謝!









見沼通船堀のカフェとレンタサイクルと、猫さんたち

見沼通船堀の東縁の東端あたりに「花あかり」というカフェがあります。

お店の横(前)には、レンタサイクルもあります。

見沼通船堀の休憩所と猫さん

花あかりの隣には公共の休憩所があります。






いざわやそべえ(井沢弥惣兵衛為永)と鈴木家

見沼通船堀の休憩所の一本隣の国道側に、国指定史跡の鈴木家住宅があります。
享保12年(1727)、鈴木家は高田家とともに井沢弥惣兵衛為永(後項参照)に従って、見沼干拓事業に参加。
享保16年の見沼通船堀の完成と同時に鈴木・高田領家は幕府から差配役に任じられ、江戸の通船屋敷で通船業務をつかさどり、八丁堤などには通船会所を持っていた。
鈴木家は、各船に対する積荷や船頭の割り振りなど舟割りを行い、文政年間以降は八丁会所において船割りにあたり、住まいも八丁に移した。
現在残る鈴木家住宅は、この頃の建立であり、見沼通船の船割り業務を担っていた住宅として貴重な建物。(平成9年3月 さいたま市教育委員会)



写真の母屋、内部は非公開だが、住宅の付属物が一般公開されている。

鈴木家住宅 基本情報
住所:〒336-0923 埼玉県さいたま市緑区大間木1889
公開日:土曜・日曜
公開時間:10時~16時
入場無料
JR武蔵野線東浦和駅から徒歩約10分
見沼通船堀の東端と木曽呂の富士塚

見沼通船堀の東縁をずーと東にいくと、その東端に「木曽呂の富士塚」があります。












木曽呂の富士塚の頂上からは、晴れていて、空気が澄んでいるときには本物の富士山がこの方角に見えます!

日本料理 ふじは、木曽呂の富士塚の横にある和食処
見沼通船堀から木曽呂の富士塚に登った後、奥さんと一緒に「日本料理 ふじ」でランチを取りました。


お値段は写真の通りですが、味は・・・不味くはないですが、私たちには「美味しい!」とはなりませんでした。
私たちのほかに2組のお客さんがいました。混んではいませんでした。

見沼通船堀の近辺には神社がたくさん!
見沼通船堀の近辺には、いくつか神社があります。
稲荷社

所在地: 〒336-0925 埼玉県さいたま市緑区大字下山口新田17
稲荷神社(いなりじんじゃ)・稲荷社(いなりしゃ)は稲荷神を祀る神社。
京都市伏見区深草にある伏見稲荷大社が神道上の稲荷神社の総本宮となっている。
稲荷神社

所在地: 〒336-0923 埼玉県さいたま市緑区大字大間木1914
水神社


所在地: 〒336-0923 埼玉県さいたま市緑区大字大間木2395
水神社は、見沼通船堀が開通した翌年の享保17年(1732)6月の創建。
水神社は河川輸送の仕事につく人たちの水難防止を祈願して祀ったものです。
祭神は罔象姫命(みずはめひめのみこと=水の神・雨乞いの神)。
本殿は大正12年9月1日の大地震により全壊し、同13年に再建された。
附島氷川女体神社


所在地: 埼玉県さいたま市緑区大間木1522
附島氷川女体神社は、見沼溜井の造成によって水没した三室村の氷川女体神社の社領の代替地として、附島村に与えられた社領の鎮守社として寛永6年(1629年)以降に創建。
祭神は、田の女神である奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。
附島村は、明治9年に大間木村に吸収合併。
見沼代用水は洪水を防ぐための土木事業の産物?!
江戸時代初期、利根川と荒川は現在の越谷付近で合流していて、洪水が頻繁に起きていた。
そこで、この両川を引き離し、その跡を一大水田地帯にする大土木事業が行われた。
利根川は文禄2年(1594)から60年かけて、流れを少しずつ東に移していった。(利根川東遷)
この工事により、それまで東京湾に流れ込んでいた利根川は、銚子で太平洋に注ぐようになった。
荒川は寛永6年(1629)、熊谷の久下で元荒川を締め切り、流れを西に移し入間川・隅田川を通じて江戸湾に注ぐ流路に変えた。(荒川西遷)

これらの大土木事業を行ったのは、伊奈備前守忠次。
その次男、半十郎忠治は見沼の東岸と西岸が最も近い附島(現さいたま市緑区)と木曽呂(現川口市)の間(約8町だった)に「八丁堤」と呼ばれる堤を築いて見沼へ流れ込む水を貯留した。(見沼溜井)



その後、新田開発に伴い、見沼溜井では水が不足するようになり、享保12年(1727年)、徳川吉宗の命を受け井沢弥惣兵衛為永(いざわやそうべい)が、新たに利根川から用水を引き、見沼溜井は干拓して新田開発し(見沼田んぼ)、排水路として中悪水路(現芝川)を掘削する工事を行った。
利根川から引かれた水は、見沼に代わる用水なので「見沼代用水」と言われた。
見沼代用水は、取水口の利根川から見沼まで全長60km。
そこからかつての見沼用水につなげましたから、末端は現在の東京都足立区まで、84.5kmにも及ぶ。
見沼代用水は、利根川から取水し、綾瀬川を越えた直後に台地の縁に沿って東西2本に分流する。
西側の台地に沿って掘削された見沼代用水西縁(にしべり:全長約22㎞)と、東側の大地に沿って掘削された見沼代用水東縁(ひがしべり:全長約16㎞)。
見沼代用水は干拓して開発した水田に水を入れたのち、低地を流れる芝川に排水する仕組みになっている。


その芝川下流域の川口市で戦後、市街化が急速に進み、水害が頻発した。
そこで、行政は1954年に芝川の排水能力を高めるため新たに芝川放水路(新芝川)を開削する工事に着手するとともに、見沼たんぼを「自然遊水地」として活用することにした。